小名浜出身の偉大な行者

- 箱崎文應大阿闍梨 -

 
 箱崎文應という名前を知ってますか?。

 私事で恐縮だが、学生時代、京都の街で千日回峰の行者に遭遇しました。そのときの行者さんは、おそらく酒井雄哉大阿闍梨である。百日行中、一日だけ比叡山から下りてくる「切廻り」か、「大廻り」か分からないが、幸運であった。その酒井師の師匠が箱崎文應師である。

 略歴によると文應師は明治二十五年、小名浜松の中に生まれ、昭和五年、三十九歳のとき自分の乗っていた船が海難事故にあい、人生に無常を感じ、比叡山に登ったという。事故では自分も含めて二人しか助からず、多くは亡くなったとのことである。

 昭和九年より千日回峰行にはいり、十五年に満行して北嶺大行満大阿闍梨となった。九十歳まで毎日二時に滝をあびて、出家以来三十六回も断食をしたという。平成二年、住職をしていた長寿院にて九十八歳で遷化された。

 二十年くらい前、自坊の先代住職と檀家さんが長寿院に、文應師を訪ねた。齢九十をこえ、すでに目も見えず、耳も遠かったが、お付きの人(酒井師?)が小名浜 からの来訪をつげると、よくふるさとのことを覚えていて懐かしがられたという。

 文應師は回峰行後、好きなお酒も飲まれ、弟子の酒井大阿闍梨は、夜中の十二時前から起きて修行しなければいけないのに、文應老師のために、夜遅くまで酒のさかなを作っていたという。これが酒井師には修行より辛かった?という話である...。

 こんなすごい箱崎文應大阿闍梨が磐城の人に意外と知られていない のは、残念なことである。琵琶湖の春をつげる、水難と安全を祈念する比良八講の行事は、文應師が復興したものという。大きな琵琶湖をみて、ふるさとの太平洋を思い出していたのかもしれない。

心光寺 宗川 太洋

 

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