薪を背負いて本山参り

- 大和の清九郎 -

 今から三百年前(赤穂浪士討ち入りの頃)、大和(奈良県)の吉野に清九郎さんという、「妙好人」が住んでおりました。
  妙好人とは、お念仏の信仰を確立して報恩感謝の生活をおくった人のことをいいます。
  私事ですが、家内の実家の近くに清九郎さんのお墓があるということで、今から二十年も前のことですが、自転車にのってお墓を訪ねました。細い山道をわけ入って行くと何もない山の中に、清九郎さんのお墓がありました。とても立派で、清九郎さんがいかに大和の人々に敬われてきたか、思い知りました。
  こんな清九郎さんも、若い頃は放蕩三昧の生活を送る、どちらかというと村の厄介者だったようです。村の人もそんな清九郎さんを心配して、結婚させれば少しは落ち着くだろうと。お嫁さんを紹介しました。しかし、清九郎さんの生活は前と変わらぬすさんだ生活でありました。
  こんな厄介者の清九郎さんにもいよいよ観念する時がきました。新妻が産後のひだちが悪くて、女の子を残して亡くなってしまったのです。これには、さすがの清九郎さんもそうとう堪えたらしく、その後は働きながら子供を育て、なんとか立ち直ろうとお寺に通い、聞法するようになったとのことです。
  こんな話があります。清九郎さんがある春の暖かい日、昼間から酒を飲み道端にひっくりかえっていました。その時うぐいすが、「ホーホケキョ」と鳴きました。それが、清九郎さんには「法を聞けよ」と聞こえ仏教に発心したという伝説もあります。
  以後なんとか安心を得ようとした清九郎さんですが、なかなか心休まることが出来ずそうとう苦しんだようです。
  お念仏の信仰を確立して、妙好人となってからは、いろいろな逸話が残されております。家に入った泥棒を改心させたことや、若い頃の自分のような放蕩三昧のお婿さんを立ち直らせて、親子三人で信仰の生活をおくったこと。また、特に有名な話しは、吉野から京都の本山までご仏飯(仏様にあげるごはん)を炊くための薪を背負って、木津川を渡って本山にお参りをしたことです。現在でも、吉野から京都までは遠いのですから、いかに清九郎さんが仏教に恩義を感じていたかどうかをうかがわせる話ではないでしょうか。みなさんも薪はともかくとして、花を持って菩提寺やお墓にお参りをしてください。

心光寺 宗川 太洋

 

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