海隣

平成17年 (2005)9月 かいりん 第1号

10月8日(土)〜10日(月)
心光寺 授戒会
授戒会とは浄土宗の檀信徒の皆様にお念仏の信仰をしっかり身につけていただこうとする尊い法会です。

 

授戒について

 浄土宗には各県毎に43歳までの若い僧侶からなる青年会の組織があります。私のお寺がある埼玉県の青年会では昨年度より「夏期僧堂」と称する、夏休みの小中学生を対象とした子供道場を開設致しました。1泊2日お寺での生活を体験してもらうのです。スイカ割りやお数珠作り、札所めぐりのハイキング等楽しい行事も取り入れてありますが、中心となるのは「帰敬式(ききょうしき)」という儀式です。子供達は、本堂内で仏さまからの「みひかり」を個々に持ったろうそくへと頂戴し、「明るく正しく仲よく」生活していくことをお誓いします。夕闇迫る薄暗い本堂内、ろうそくの灯りに照らされる子供達の真剣なまなざしに感動を覚えると同時に、指導にあたっている我々も身の引き締まる思いが致します。子供達の心に仏さまのありがたい教え―ひかり―が灯されるのです。
  皆様方は普段の生活で、仏さまの教えに触れる機会はございますでしょうか。人として生きる上で正しい生活規範を持って生きる。
  我々の浄土宗ではこの正しい生活の筋道を「授戒会」という儀式を通して皆さまにお授けしています。
  日々の暮らしで守るべきルールは多々あります。例えば「盗みをしてはいけない」「悪口を言ってはならない」といったことは誰もが承知していることですが、社会の道徳を身に付けているに留まっています。仏教を信仰する時、人格の完成を目指す時には、やはり仏さまに従った道徳である「戒」を授からなくてはなりません。人として本来持ちあわすべき心がなくてはならないのです。
  そして、人として本来守るべき規範を示した「戒」は本を読んだり、解説を理解しただけでは授戒したことにはなりません。子供達が儀式を通して心に「ひかり」を灯したように、授戒会に参加され授戒の作法を実践して初めて人として本来持ち合わすべき心が働き出すのです。
  浄土宗の本山や各お寺では定期的に「授戒会」が開催されています。機会がある際には是非ともご参加され、今まで以上にお念仏の生活がより充実したものになるよう努めていただければと存じます。

赤羽海衆・専称寺(埼玉県)

 

心光寺鎮守社大原大明神について


【インド仏跡めぐり ルンビニ・マヤ堂にて】

 現在仏教の寺院の多くは、守護神としての鎮守が祭られていない。もっとも真言宗の寺院では希には境内に守護神の社が存在する。明治元年(一八六八)の神仏分離令が明治の新政府によって実施されるまで、日本の国においては千年以上にわたって仏と神が一つに修合して我々を救済してくれる。だから寺院にも寺を守護する鎮守さまが祭られており日本の神様は、すべて仏教の如来さま・菩薩さま・明王さま達が変身して日本国に来られたという。そのため浄土宗の本尊様である阿弥陀如来は日本国では八幡さまである八幡大菩薩であった。時には熊野さまでもあった。こうした日本の神さまになる仏さまのことを本地仏と呼びます。小名浜の鎮守社である諏訪神社の本地仏は普賢菩薩です。菩薩は極楽浄土に往生したいと願う魚・獣たちを手助けするのが猟師(漁師)であるという。そのため猟師は殺生しても罪にならず極楽浄土に往生できるわけです。但し年に一度、諏訪神さまの神前で獅子舞を行って神様(普賢菩薩)を楽しませねばならないそうだ。諏訪神さまの夫人が十一面観音さまです。十一面観音は天竺(インド)より本国に来られると、鹿島様として現れる。その祭神は建(たけ)御(みか)雷(ずち)神(かみ)(建(たけ)御(み)賀(か)豆(ず)知(ち)命)である。
  我が心光寺も境内に鎮守さまが祭られていた。その名を大原大明神といった。度々の火災などで記録がなく由来はさだかでないが、江戸時代の中頃にすでに祭られていたことは延享四年(一七四七)の西町村差出帳によってあきらかである。また当寺の安政二年(一八五五)過去帳にも次のように記されている。

 大原明神は大原野神社とも称し、その本地仏は薬師如来であり、その祭日は十四日であると、『増補諸宗 仏像図彙』は述べている。
  では大原明神とは、いかなる神様であるのだろうか。その由来によると奈良の都に祭られている春日大明神を、桓武天皇は都を長岡に移したので、奈良は遠いので長岡に祭ったのが当社のはじまりという。さらに仁寿元年(八五一)に京都の大原野に移したという。そのため大(おう)原(はらの)神(かみ)とよぶようになったとある。だから祭神は春日大社の祭神である、建(たけ)御(み)賀(か)豆(ず)知(ち)命(鹿島神社の祭神)・伊(い)波(わ)比(い)主(ぬし)命・天(あめ)之(の)子(こ)八(や)根(ね)命・比(ひ)(め)大神の四座の神々である。現在心光寺境内には大原明神の社は跡かたない。誰か知っている人があったら、お知らせください。

  佐藤孝徳 いわき市文化財保護審議会委員


【行事予定】

九月 八日   吉水講例会
十月 八日 〜十日 授戒会 長崎教区長徳寺 日下部匡信上人
十一月 八日   吉水講例会
十二月 八日   吉水講例会

「ちょうどよい」

 上でなければ下でもなく、右でなければ左でもない。
  その答えは、「中(ちゅう)」であり、「中(ちゅう)」とは、【ものの内側・物の真ん中・また程度のなかほど】などと意味づけられております。
  お釈迦様の説かれたなかに「中道(ちゅうどう)」という教えがあります。それは、極端に偏った考えや行動をしない中正な道ということであり、けっしてどっちつかずの曖昧なことを意味するものではありません。そして次のように喩えて説かれていたそうです。

 「琴を弾くのには、弦が張りすぎても弛みすぎてもだめで、ちょうどよい張り加減でこそよい音色を奏でることができるのである。」と・・・

 『人生、楽ありゃ苦もあるさ』と詠っているように楽しいこと、苦しいことの交錯した忙しい現代社会ではありますが、そこで生きるわたくし達はちょうどよい張り加減でよい音色を奏でられるような生活をおくっていくためにに共に張り加減を確かめ合いながら日々過ごしていくということが必要なのではないでしょうか。

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