海隣

平成18年 (2006) 12月 かいりん 第4号

平成19年 春
心光寺 寺史記念碑来春除幕

 

・・・お浄土よりのメッセージ・・・

『みんなが幸せに』

  「ただ、漫然と生きることだけが人生ではない。よりよい人生、充実した人生送るところに幸せがあり、生きがいがある。周囲を取り巻く多くの悪業、悲しみ、憎しみ、恨みなど、人心を腐らす要因に打ち勝つ力が必要だ。」

  人を憎むことはやめよう。
  人を傷つけ合うことはやめよう。
  人をそしり、人を責め、人を苦しめ、人をののしり、人を侮り、人を辱めて残るものは、憎しみと恨みと不幸だけである。
  人の信頼を裏切ることはしないこと。
  人を欺き、人を不幸に陥れることはやめよう。必ずその報いは自分に返ってくるだけでなく、世の中を暗くし、人を不幸にすることを考え、うそとごまかしはやめ、お互いに尽くし合うことにしよう。
  争いの激しくなるときは相手の立場を考え、相手の言うことをきくゆとりをもとう。
  お互いにいたわりと思いやりの心を持って・・・。
  人の世話になったら決して忘れないで、それに報いることが人の道と心得よう。
  親と子、大人と青少年は世代の隔たりを考え、お互いの心と立場を認め合い、いたわり合い、尽くし合う努力を続けよう。お互いの時代の違いによるギャップを埋めあい、地ならしをする努力を続けることだ。
  お互いに相手の言うことをよく聴くようにし、善意をもって話し合い、理解し努力することにしよう。
  親子も夫婦も、先生と生徒も、友人同士も隣人同士も、職場仲間も、いたわりと善意と協力があれば、本当の愛情がが生まれ、平和な幸福な生活の出来る事を考えよう。

 昭和51年6月29日 宝国寺四十世 柴田祐定がいわき民報へ宛てた寄稿文であります。
  私たちの浄土宗には、全国の青年僧侶からなる浄土宗青年会という組織があり、30年たった今、全国浄土宗青年会にて掲げられました活動テーマが「同入和合海」であります。
  「共々に和やかにあい和する海のごとき集まりに仲間入りしましょう。」となるわけであります。
  今から2500年前にお釈迦さまによって開かれた仏教とはもともと、悟をひらかれたお釈迦さまを理想とし、その境地を目指す修行法であり、人の生き方を教えるものであります。
  現代に生きるわれわれはその教えの中で阿弥陀様の本願であります、お念仏の修行を共々に日々過ごしていくことが幸せな生活となることでしょう。

(宝国寺 柴田祥宏)

 

開蓮社良我上人雲月和尚伝(二)


心光寺 弁天さま

    はじめに
  小名西町村の次男と生した百之助は今より二百七十四年前の享保十七年(一七三二)菩提寺である心光寺の十三世良風上人のもとに弟子入りした。時にわずか十二歳であった。ここで師より雲月という名を与えられた。たぶん十五歳のころ浄土宗名越派の檀林である専称寺に入り、名越派の僧侶として修行した。そうしたなかで彼の学問を学ぶ態度が優れていたので、藩主の菩提寺である善昌寺の御霊守に抜擢された。さらにまもなく同寺の役者にも出世した。
   
    一
  雲月が念願かなって住職となったのは延享元年(一七四四)であった。その寺は心光寺同様、如来寺の末寺の一つである下一ノ萱村(いわき市三和町下市萱)の観音寺であった。当時の観音寺は上・下一ノ萱村両村すべての家の菩提寺で、檀家の大半は農業のかたわら馬を飼うなどして、小村ながらの寺であったが、境内には徳一菩薩の伝承を持つ観音堂があり、馬の安全を願う寺として附近一帯に多くの信者を有していた。
  しかし、平和な村の寺であるはずが、現実には大きな悩みを抱えていた。その悩みとは雲月が誕生する以前より磐城を度々、疫病・大火・大雨・大嵐・大水・害虫・大凶作・冷害・百姓一揆とあらゆる襲ってきたからだ。
  特に疫病は享保二年(一七一七)春と同十五年暮れから翌年春の間のはしか、延享元年(一七四四)とたびたび発生した。こうしたはしかの発生は幼い子供の命をうばった。こうした流行は決して岩城のみの傾向ではなく、江戸などの大都市を始め全国に及んだ。
  いったんは大流行は収まったが再び猛威をふるったのは延享四年の春の、疱瘡(ほうそう)であった。疱瘡とは天然痘のことであり、ウィルスによって起こる急性感染症の病気である。発病すると高い熱と同時に発疹ができて死亡率が高く全治してもあばたが残った。このあばたを磐城の方言ではジャンカといった。

   二
  翌年の寛延元年初秋再び疱瘡の大流行のきざしが見えていた。雲月はこうした流行による病気の再発は幼児の死の惨事を見ることをしのぶことが出来ず、何らかの措置をせねばならぬと思い、実行することをしたのが疫病防止のため本尊阿弥陀如来に自分の身を捨身し、如来の前で七日七夜にわたる断食と不眠不休での念仏三昧であった。
  こうして雲月は拝みながら木魚と鉦をたたいて七日七夜、南無阿弥陀仏を称えた。鉦が鳴りやんだので、村人が行って見ると雲月の体は真っ黒にになって死んでいたという。行を実行する前に雲月は村人に「末代まで村の、はやり病を背負って行くから村の守りしたい」と言っていたという。
  こうして雲月は亡くなったので村人は霊をまつり雲月堂を建立したという。この結果
  雲月堂に参拝すると、どんな病気も治るという。
  皆さんの家の位牌に、もしかしたら雲月や他の僧侶たちの戒名が刻まれているかも知れません。お知らせください。

(佐藤孝徳・いわき市文化財保護審議会委員)

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『六時礼讃会』のご案内

  浄土宗には全国に若い僧侶からなる青年会がございます。この度、浄土宗福島教区浜通り組青年会におきましては結成30年目の大きな節目の年を迎えその記念事業としまして、『六時礼讃法要』をお勤めいたします。
  この法要では、浄土宗の浜通り組の寺院(49ヶ寺)の檀信徒やご縁のある皆様と共にご先祖様等、諸霊の追善供養を宗祖法然上人のご命日であります1月25日に合わせまして下記の日程にてお勤めされます。
 当山の檀信徒の皆様にも是非ご参加いただき、お念仏の信仰を深めていただきたいと存じます。

日 時 平成19年1月24日(水)〜25日(木)
会 場 第1会場 専称寺 いわき市平山崎梅福山5番地  TEL 0246-34-2283
     
・開白 日没法要 16:00/初夜法要 20:00/中夜法要 0:00/
後夜法要 4:00/晨朝法要 6:00
    第2会場 如来寺 いわき市平山崎矢ノ目92番地  TEL0246-34-7251
     
・法話 満蔵寺 加藤正典上人 10:00  
・結願 日中法要 11:00
  •  各法要のご参加は自由に出入りして頂いて結構です。
    尚、暗くなりましてからのお参りは、お足元が見えにくく危険ですので明るい時間帯にお参りされますようご案内申し上げます。
  •  供養札は一霊位につき1,000円の冥加料をお預かり致します。心光寺へ申込書と合わせてお申込み願います。
  •  法要に参加されました方はその法要にて回向師により一霊一霊ご供養させて頂き、法要修了後に参加記念品と合わせましてお渡し致します。供養札のみのお申し込みの方はその他の法要にてご回向させて頂き、  六時礼讃会修了後に心光寺にてお渡しいたします。

ろくじらいさん
『 六 時 礼 讃 』

 『六時礼讃』とは、浄土宗の高祖善導大師がまとめられた「往生礼讃偈(おうじょうらいさんげ)」に基づき一日を日没(にちもつ)、初夜(しょや)、中夜(ちゅうや)、 後夜(ごや)、晨朝(じんじょう)、日中(にっちゅう)の六時に分け、誦経(じゅきょう)、念仏(ねんぶつ)、礼拝行(らいはいぎょう)を実践する法会です。礼讃には美しい節がついております。この美しい節のついた礼讃を唱えながら蓮の華をまく散華(さんか)や、ご本尊の周りを廻る行道をし、礼拝をします。この行によって阿弥陀さまの徳を讃え、お念仏の信仰をますます深めるのです。
  『六時礼讃』にはその調べの美しさから、浄土宗にとって一つの大きな事件がありました。
  建永二年(1207)、法然上人の弟子、住蓮、安楽がこの『六時礼讃』を勤めたところ、その節の美しさから後鳥羽上皇の寵愛を受けた官女であった松虫、鈴虫が出家してしまい後鳥羽上皇の怒りにふれ、住蓮と安楽は死罪、その師である法然上人が流罪の刑を受けてしまったのです。これを浄土宗の三大法難の一つ、「建永の法難」と申しますが、このようにひとの心を動かすほど優美な調べをもつ礼讃です。
心光寺の檀信徒の皆様にも是非お聞きいただき、お念仏の信仰を深めていただきたいと思います。

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【行事予定】

平成18年
11月 8日   吉水講例会
12月 8日   吉水講例会
8月 9日   心光寺永代供養墓供養祭
      心光寺施餓鬼会
9月 8日 吉水講例会
 
平成19年
2月 8日   吉水講例会
3月 8日   吉水講例会

lineあたたかい心

あたたかい心にふれて
あなたの一日がたのしかったなら
あすはそのあたたかさを
だれかにそそごうではないか
その人は
また次の日に
そのあたたかさを
だれかにつたえてくれるにちがいない
このあたたかさのつたえあい
そそぎあいが
人の世をあかるくし
人々を幸福にする

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