海隣

平成19年 (2007) 6月 寺報かいりん 第5号

平成19年 秋
心光寺 別時念仏会 予定

 

心光寺縁起

 織田信長が天下統一を目指していたころ、陸奥国岩城磐前郡小名西町に一宇の観音堂があった。
  天正二年(一五七四)浄土宗名越派の檀林専称寺で学んだ益蓮社良゚上人吟益大和尚が、この観音堂を基に一寺を開山、海隣山観音院心光寺と名付けた。
  寛永二十年(一六四三)八月、江戸幕府の本末制度の命により当寺は名越派故本山如来寺と本末の関係を結んだ。
  元禄九年(一六九六)六月二十八日、台風により小名浜四ケ村で八百四十六名溺死する海難事故があり、十世良教上人がその犠牲者を哀れみ、大施餓鬼会を行ってその菩提を弔った。十一世良比上人は享保二年(一七一七)の疫病で小名浜四ケ村に三百余名の死者が出たのを憂い、三回忌にあたる同四年追善のため大供養を行い、その霊を慰めた。良比上人は本寺に昇進、以後歴代の住持で本寺に昇進するものが多く、本寺に次ぐ格式の寺となった。
  十四世良義上人は本尊阿弥陀如来の新造を発願、寛保元年(一七四一)七月入仏式を行い、別時念仏を興行した。なお当寺は宝暦年間(一七五一〜六四)より三年に一度、千日の大回向を行い、檀家諸霊を弔ってきたが、嘉永三年(一八五〇)以後諸々の事情により中断した。十九世良成上人は寛政十年(一七九八)観音堂を再建、享和二年(一八〇二)七月観音菩薩等の入仏式を行った。
  天保四年(一八三三)より八年に至る、いわゆる天保の大飢饉では当檀家においても多数の餓死者が出、幼児の疫病死が相次いだため、二十三世良上人はその惨事を「過去帳」に記して犠牲者の霊を弔った。
  二十五世良解上人は嘉永五年(一八五二)本堂の屋根の修復、安政二年(一八五五)本尊阿弥陀如来等諸々の修復を行い、寺の興隆をはかった。しかし翌三年十月二十三日夜、火災が発生して堂宇を残らず焼失した。ただちに檀家一同一丸となって庫裏・台所を再建するも、本堂の再建には至らなかった。
  明治維新の波は仏教の興隆を阻害し、わずかに明治十五年(一八八二)再建された地蔵堂をもって仮本堂とするばかりであった。昭和一六年(一九四一)チベット学の大家河口慧海の高弟宗満上人が当山三十一世として入山。本堂が焼失して八十余年が経つも再建がならないのを嘆いて発願、日米戦争の勃発で資材の調達は困難を極めたが同十九年春彼岸、本堂が完成した。しかし完全な再建に至らず、その後も内陣等の整備を行い現在に至っている。なお当寺は幕府巡見使の小名浜巡見の折、休憩所に指定の名誉を得ていた。

(いわき市文化財保護審議会委員・佐藤孝コ)

 

お念仏と共に・・・


心光寺 縁起碑

  今からおよそ830年ほど昔の1175年、私たちの浄土宗は法然上人(1133〜1212)が43歳のとき開宗されました。浄土宗の教えとは、阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ「南無阿弥陀仏」とみ名を称えて、人格を高め、社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、往生(西方極楽浄土に生まれること)を願う信仰です。
  さて、前回もご案内をいたしましたが、私の属しております浄土宗浜通り組青年会では、去る1月24日〜25日(法然上人の御命日)に六時礼讃の法要をお勤めいたしました。六時礼讃とは法然上人が師と仰がれた、浄土宗の高祖である中国・唐代の善導大師(613〜681)がまとめられた「往生礼讃偈(おうじょうらいさんげ)」に基づき一日を日没(にちもつ)、初夜(しょや)、中夜(ちゅうや)、後夜(ごや)、晨朝(じんじょう)、日中(にっちゅう)の六時に分け、誦経(じゅきょう)、念仏(ねんぶつ)、礼拝行(らいはいぎょう)を実践する法要です。そしてこの礼讃には美しい節がついており、この美しい節のついた礼讃を唱えながら蓮の華をまく散華(さんか)や、御本尊である阿弥陀さまの周りを行道、礼拝をいたします。
  一座目であります日没法要は夕刻せまる午後4時より浄土宗の旧奥州総本山であります専称寺にて青年会の先輩方並びに浜通り組御寺院の檀信徒の皆様と共にお勤めいたしました。専称寺とは梅の花で有名でありますが、もとは東北一円より多くの僧侶がこの寺で修行をしておりました。山門をくぐり石段造りの参道を息を切らせ上りつめると太平洋を望むその高台に阿弥陀さま(本堂)と現在ではとても珍しい茅葺屋根の庫裏が迎えてくださいます。このような寺で六時礼讃会をお勤めすることができましたご縁を大変有り難く思いつつ二座目の午後8時よりの初夜法要までの時間は二時間余りとなりました。私共青年会では10ヵ月ほど前より準備を進めてまいりまして、それぞれの役割をそれぞれが確認しつつ準備をしておりますとその昔、修行僧たちはこの寺で日々このような生活をしつつ行に励んでいたのだろうと感じずにはいられませんでした。それから三座目の午前0時よりの中夜法要、四座目の午前4時よりの後夜法要におきましては、真夜中のまた石段造りの参道で足元が見えにくいにもかかわらず法要にご参加下さいました檀信徒の方々がいらっしゃいまして、共にお念仏を申すことができました。有り難いことです。仮眠がとれるように布団の準備はしていたもののなかなか眠る気にはなれませんでしたが、そのころになってきますとさすがに眠気がおそってまいりました。そのような状況で午前6時よりの晨朝法要がお勤めされます。一月の末という事でこの時間はまだ真っ暗闇です。西方極楽浄土の阿弥陀さま(西)に向かってお勤めをしておりますので背は東となります。法要を終えてふと振り向き、はるか東の太平洋より昇る朝日を拝むことができたとき我々と同じこの太陽を当時の修行僧達もここで拝んでいたのだろうかと、まるでタイムスリップしたかのような気さえいたしました。その後、朝食を済ませ如来寺へと移動し最後の日中法要をもって六座の法要すべてをお勤めすることができました。
  今回、六時礼讃を一日かけてお勤めいたしまして、会所であります専称寺様、如来寺様はじめ御参加いただきました檀信徒の皆様、諸先輩方、また様々な形でご協力いただきました多くの方々、そして多くの仲間たちと、さらには私たち人間にはどうしようも出来ない大自然のもたらす天候にも恵まれましたことすべてのご縁があって無事円成することが出来ましたことを思いますと常にまわりに助けられながら生かされていることを実感させられました。
  私達は朝日が昇るかのように今この娑婆世界に人間として生命を受けておりますが、この太陽の沈む西方極楽浄土へ生まれるそのときまでお念仏の生活を日々つづけて行こうとあらためて決心をさせられた一日でもありました。

(宝国寺 柴田祥宏)

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仏教の自習時間

  日常私たちが何気なく使っている言葉の中に、実は日本語ではなく、古代インド(サンスクリット語)の仏教から来ている言葉だったりすることをご存知ですか。
  たとえば「おしるこ」の善哉(ぜんざい)。私も、大好きですが、これは古代インドで、議決の時に賛成の意をあらわすときに用いた(サードゥの訳)言葉で、釈尊等が弟子たちの意見に賛意をあらわす時にこの言葉を発したのが始まりで、その言葉が日本に伝わり、最初におしるこを食べた人が、あまりに美味しかったので「善哉・善哉」(美味しい・美味しい)と言ったのが、その名前になったそうです。
  また、家のご主人のことを「檀那(だんな)様(さま)」と呼びますが、これも、(ダーナの音写)布施を施す人という意味で、家族を養う人なので、「檀那様」と呼ぶようになったようです。
  その他にもいろいろありますが、ことばの語源を調べてみると、なかなか面白いものですね。
  ちなみに私たちがアラビア数字と呼んで使っている数字も実はインドが発祥です。

インディア数字 1234567890
アラビア 数字

(浄国寺 馬目光悦) 

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【行事予定】

平成19年
4月 22日   心光寺総代会総会

5月

1日   弁天祭(旧3月15日)
5月 8日   吉水講例会
6月 8日   吉水講例会
7月 8日   吉水講例会
8月 9日   心光寺永代供養墓供養祭
      心光寺施餓鬼会
9月 8日 吉水講例会

line「悪をいう」

預金勧誘に来た
Aの銀行がB銀行を悪くいい
Bの銀行がA銀行を悪くいい
CがDをDがCをというように
お互いに悪く言ったら
よい銀行は一つもなくなり
どこも預金者はなくなるだろう
人間関係でも
AがBをBがAを、CがDをDがCを
お互いに悪くばかりいったら
この世の中に
善人は一人もいなくなり
信用できる人は一人もいなくなるだろう
お互いによくいったら
みんな善人となり
世の中は明るくなるにちがいない

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